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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)2537号 判決

控訴人

佐山嘉次朗

右訴訟代理人

中垣内映子

被控訴人

須藤正夫

右訴訟代理人

山岸文雄

外一名

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、昭和五一年一二月末日限り控訴人から金一六九〇万円の支払を受けると引換えに、かつ昭和五〇年三月一日から昭和五一年一二月末日までの地代相当損害金の支払債務の免除を条件に、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して、同目録(一)記載の土地の明渡をせよ。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人、その余を被控訴人の各負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人がその第一次的請求としていわゆる無条件で建物収去土地明渡を求め、かつ昭和四五年四月一二日以降の地代相当損害金の支払を求める請求については、当裁判所も、原裁判所と同一の理由で、その請求は失当であり棄却されるべきであると判断するので、原判決書九枚目表三行目中「主張するが、」の下に「賃貸借期間満了時である昭和四五年四月一一日当時」を、同五行目中「それが」の下に「十分」を各加え、九枚目裏一行目中「ることを」を「る等の事情によつて本件土地使用につき相応の営業上の利益を享受していることを」に改め、同七行目中「その中に、」の下に「建物を建築・増築するなど何らかの措置を特に構ずることなく」を加えるほか、原判決の理由説示を引用する。(なお、当事者双方の主張上本件土地賃貸借契約成立の日は特定されておらず、〈証拠〉によれば、本件土地賃賃貸借契約は普通建物所有を目的とするものとして昭和三〇年四月一一日に成立したものと認められ、他にこれに反する証拠はない。そして、およそ建物所有を目的とする借地契約は、強行法規である借地法の適用をうけて当事者間の任意の約定内容如何にかかわらず存続期間等の契約内容が法定されるけれども、その契約成立後に借地権も私権の一種として任意にこれを処分することは可能であるから、契約当事者がその期間の点を意識(乙第七号証の一等参照)しながら、その後当事者間で右賃貸借の更新の有無をめぐる争いの訴訟において、昭和四五年四月一一日をもつて従前の賃貸借期間が満了することを争いのないものとすることは、当事者の処分権主義のうえから許容されて然るべきであり、したがつて裁判所も右賃貸借契約は現にそのような内容の約定になつていることに争いがないものとして、他の争点につき審理をすすめるべきであり、このことは法規適用の判断が裁判所の専権にゆだねられていることと毫も矛盾するものではない。)

二そこで、控訴人のいわゆる第二次請求について検討をする。

(一)  本件は、前述のように従前の土地賃貸借契約が昭和四五年四月一一日をもつてその期間を満了し、その満了時における契約の更新拒絶につき正当事由の存否が争われているのであるが、従前の賃貸人である控訴人から同賃借人である被控訴人に対し、本訴においていわゆる正当事由の補強として、譲渡猶予期限の附与、金員の給付、地代相当損害金の免除の申出がなされたのは、昭和五〇年二月二五日になつてからであり、右申出中給付金額一、〇〇〇万円を一、五〇〇万円に増額して訂正の申出をしたのが同年一一月二七日であることは訴訟上明らかである。およそ、借地契約の更新拒絶につきその正当事由の有無を判断すべき基準時は、従前の賃貸借の期間満了時を基準とすべきであるが、借地法自体も期間満了後に土地使用が継続された場合に、賃貸人のなすべき異議は遅滞なく行なわれればよとしているように、時間的には期間満了時よりも後に異議がなされ、その正当事由の有無について争いが存すれば、訴訟を通じてその争いの結着のついた段階で遡つて賃貸借が或いは終了したものとされ、或いは更新したものとされるべきことを当然予定しているのであるから、前記基準時における正当事由の存否につき、時間的には基準時後の事情であつても、事柄の性質如何によつては、これを判断の資料に加えることも、必ずしも背理ではない。すなわち、基準時の事情とは全く無関係なその後に生じた事情を加味することは正当でないが、例えば基準時当時未だ萠芽の状態にあつた事実若しくは単に予想され、または計画の段階にあつたに過ぎない事実がその後月日の経過と共に確実視されたり具体化された場合には、これを加味して判断することはむしろ相当であると言えよう。更に、本件控訴人が申し出たような全員給付等のいわゆる正当事由の補強条件は、前記例示の如き客観的な事実の変還とも若干性質を異にするものがあり、要するにそれらの補強条件は、明渡を余儀なくされる従前の賃借人の不利益を緩和しもしくは補償するものであつて、同賃借人がその不利益を現実に蒙るのは、実際に明渡すべき時になつてからなのであるから、そのことだけから言えば、右補強条件の申出は、明渡前である限り遅すぎるということはないと言えようが、しかしその申出も、借地法四条一項、六条一項の趣旨に準じて「遅滞なく」申し出られる必要があると解すべきである。けだし、遅すぎる補強条件の申出は、法的安定性を害するおそれがあるからである。すなわち、例えば更新拒絶について正当事由のないことが確実視され、賃借人において契約は更新されたものと考えて、更新を前提とした新たな生活や経済活動を営むに至つたような場合に、その後になつてからいわゆる補強条件の申出を許し、それによつて正当事由が具備されるに至つたとするが如きことは、法的安定性を著しく害することになるからである。したがつて、補強条件申出の要件としての「遅滞なく」とは、単に歳月の日数によつて算えられるべきでなく、右に述べたような法的安定性が客観的に要請される如き事態に立ち至るまでの間と解するのが相当である。

(二)  そこで、この点を本件についてみると、〈証拠〉によれば、控訴人は本訴提起前に被控訴人に対し明渡の調停を申立て、同調停において立退料を支払う案をすでに呈示していたことが認められ、〈証拠〉によると、控訴人は昭和四六年一二月七日の本訴提起から訴訟の全経過を通じて終始本件土地の明渡を強く希望しており、他方被控訴人の本件土地の使用状況もその地上一杯に本件建物が建つているという状況に変りがなく、かつ本件建物の使用状況は後記認定((三)3)のとおりであつて、昭和四五年四月一一日の期間満了時から昭和五〇年二月二五日のいわゆる補強条件の申出の時までの間にとくに本件建物を基盤とした新たな経済活動と見るべき変動が認められないばかりか、かえつてその使用目的は多目的から単一の目的に縮少されたことが認められるから、以上の事実に弁論の全趣旨を総合すると、本件訴訟中に申し出られた前記補強条件の申出は、遅滞なくなされたものと解するのが相当である。

(三)  そこで、右補強条件の加わることによつて、正当事由が具備されたかどうかについて、検討をすすめると、本件証拠上次の1ないし4の事実が認められる。

1  〈証拠〉によれば、控訴人は、終戦一年後くらいで、未だ本件土地を含む国電恵比寿駅前附近一帯が戦災による焼野原であつた当時この土地に住みつき、地元の町会の人々と話合つてこの土地の復興のため、将来駅前商店街をつくる構想のもとに、昭和二二年頃から順次周辺の土地の買い取りをはじめ、土地の整地については当時隣地の所有者であつた川崎卯六の協力を得ていたのであるが、その後本件土地をも前記の趣旨で右川崎からこれを購入し、したがつて本件土地及びその周辺の土地は控訴人において当初からその地上にビルデイングを建てるなどして立地条件にふさわしい町づくりをする計画のもとにこれを購入したものであつたこと、ただし控訴人が本件土地を買受けた際本件土地については既に右川崎と被控訴人間に賃貸借契約が成立し保存登記のある建物も建つていたのであるが、控訴人は右川崎から「被控訴人とは親しい仲なので最悪の場合でも約束の一五年の賃貸期間が終つたならば、必らず明渡してもらえる。」旨聞かされていたので、その言を信じ、その返還時期の到来を待つていたものであり、したがつて地代も商業を営む経済人としては採算を度外視した低額(昭和三七年三月までは一か月金一二五〇円、同年四月以降は一か月金二五〇〇円)のままに据置いていたこと、また控訴人は、昭和四三年頃個人的にも、自己経営の会社についても、倒産に瀕する状態に陥り、本件土地賃貸借の期間満了時にあたつてもその状態は継続中で、そのため控訴人は前示のように本件土地の具体的利用の方途を一時失つていたのであるが、いわゆる石油シヨツクによつて立直り次第に資力も回復し現在では前記の年来の土地利用計画を実行に移してゆくに足る経済力を備えて来たものであることが、それぞれ認められる。

2  〈証拠〉によれば、控訴人は本件土地を含めて附近に約一二〇〇坪の土地を所有し、そのうち本件土地の隣接地にあたる土地は、昭和四三年に資金捻出のために控訴人経営の会社が事業上の面倒をみてもらつているモービル石油株式会社にこれを賃貸したのであるが、同土地は控訴人側において保証金を返還する等所定の約定を履行すれば昭和五三年中には必ず返地されることとなつており、したがつて、近い将来本件土地と右土地とを一括して利用することも可能であり、その場合には著しく土地利用の効率が高められることが認められる。

3  他方、〈証拠〉によれば、被控訴人の本件土地建物の使用状況は、最初本件土地を借受けた当初は本件土地上にあつた既存建物の一部を取毀してそこに二階建の本件建物を建築し、そこに居住しながら同所で製麺機の製造販売をしていたのであるが、その後はその約三分の二を営業用として商品置場兼事務所として使用し、残りの約三分の一の部分を成年に達した息子の居住用にあてていたものであるところ、数年前頃から本件建物を居住用に用いなくなり、朝社員が出勤して来ると鍵を明けて入り、昼間事務所及び製作品の部品の手入れをする場所に使用しているが、社員が帰るときには鍵をしめて夜間休日は無人となつていることが認められる。

4  〈証拠〉によれば、被控訴人は昭和三〇年四月頃から始めた本件土地建物における製麺機の製造販売の業績が着実にのび、昭和四三年一二月九日には本件土地を本店所在地とする株式会社エビス麺機製作所を設立して事業を会社組織で経営するようになつたのであるが、これよりさき昭和三五年頃からは製麺機のほかに麺類運搬機の製造販売もするようになつて全国的に顧客を擁するようになり、現在は従業員数二六人、会社所有の自動車数八台に達し、その間(い)昭和四三年一月一〇日には、東京都渋谷区恵比寿四丁目三三番四四宅地69.42平方メートルを買取り、同地上に四階建建物を建築し、同建物は現在一階は工場・車庫(自動車一台収容可能)・部品倉庫として、二階は従業員宿舎・食堂として、三、四階は被控訴人及びその家族の居住用として使用され、(ろ)昭和四四年一月二〇日には右会社が同区恵比寿二丁目五八番二宅地222.51平方メートルと同地上の軽量鉄骨造スレート葺三階建建物を購入し、同建物は現在一階は製造工場として使用されているが若干の自動車を駐車させる余地もある如く見受けられ、二階は一部を工場、残部を部品倉庫・従業員宿舎として、三階は倉庫として使用され、(は)更に昭和四六年九月二一日には右会社において同区恵比寿一丁目一一番三宅地108.49平方メートルを購入し、同土地は全くの更地であつて現在同会社の営業用自動車八台の駐車場として使用されていること、ただし右会社は、右(は)に揚げる土地を購入する以前は、会社の自動車台数も四台しかなく、それらの自動車は附近所在の車庫を借りたりして適宜駐車していたものであることが認められる。

以上の各事実に〈証拠〉を総合すると、被控訴人は、本件賃貸借期間満了時においても本件土地を主としてその経営する事業の営業のために使用し、その地上の所有建物を経済的利潤追求のための生産手段として相当の企業利益を得て来たものであり、したがつて単純にこの利益を覆滅してもよい程度に達する程に控訴人側の正当事由の認められないことは前示判断のとおりであるが、さりとて被控訴人が本件土地の借地権を失つた場合に、その企業の存立が成り立たず、又はこれを危うくされるというが如き事情は認め難く、要は経済的な間題に帰着するから、被控訴人の右借地権喪失による経済的損失の補償や、本件建物にかわるべき設備を措置するための時間的余裕とそこに生ずべき実損害の補填が考慮されるならば、控訴人側の事情如何によつては更新拒絶の正当事由が具備される余地は十分にあるというべきところ、本件土地及びその周辺の土地は、その立地条件上国電恵比寿駅に至近の商業地域及びこれに接した準工業地域に属し、最近の日本経済の発展、都区内の土地の集約的利用の実情からいえば、本件建物の如く昭和三〇年頃に建てた木造二階建の比較的規模の小さな事務所兼倉庫とこれに下屋をおろした程度の建物を所有というだけの利用の仕方では、土地利用の効率の点で甚だ不十分であると言わざるを得ず、これを附近周辺の土地と一括して平面的に利用効率を高めるか、或いは中高層建築を建てることによつて立体的に利用効率を高めることが客観的に要請される地域にあるものというべきであり、しかも控訴人は本件土地をそのように利用することを本件土地買受当時から計画し、その後その計画実現が個人的に困難であつた一時期もあつたが、それは一時的なものにすぎず前段認定のように未だその計画が充分に具体化されているものではないにもせよ再び右計画を実行に移し所期の目的を達成すべき資力信用等を回復したと認められるから、控訴人はその申し出たいわゆる補強条件が相当なものであるかぎり、契約の更新拒絶につき正当な事由を具備し得るものであるといわなければならない。

(四)  そこで右補強条件の相当性について判断すると、〈証拠〉を総合すると次の各事実が認められる。

1  本件土地のいわゆる更地価格は、昭和四七年五月当時で一平方メートル当り二一万七八〇〇円であり、これが補強条件申出の年である昭和五〇年までに増騰した率は、附近の公示価格の示された標準地である恵比寿西一丁目一〇番八の土地の変動率が1.47倍強、同じく恵比寿三丁目二六番一三の土地の変動率が1.58倍強であることを勘案してそのほぼ平均値に近い1.5倍と見るのが相当であり、したがつて本件土地の昭和五〇年当時の更地価格は一平方メートル当り三二万六七〇〇円と認められ、〈る〉。

2  本件土地附近の借地権価格の更地価格に対する割合は、六〇パーセントないし七五パーセント程度であり、本件土地については結局その平均値をとつて六八パーセントと認められる。

3  また本件土地の借地権を譲渡する場合の承諾料(名義変更料)は借地権価格の一〇パーセント程度が相当であると認められる。

そこで、三二万六七〇〇円に84.53(面積)、0.68(借地権割合)、0.9(承諾料を控除した乗数)をそれぞれ乗ずると、およそ一六九〇万円という数値が得られる。

右数値は、被控訴人が失うべき借地権の補償を主眼とした価額であるが、一方において被控訴人は金員給付のほかに前示のとおり明渡猶予と賃料相当損害金の免除をも申し出ており、更に賃料を長年低額に据置いていたという事があり、他方控訴人については同人の原審における第一回尋問の結果により、本件土地賃貸借にあたり権利金四五万円を支払つていること及び会社の本店を他に移転する場合には相応の出費がかかり、またその移転に伴い全国的な顧客に対する信用を失墜しないように特に配慮するための費用を要することが認められ、これらの諸要素その他以上認定の諸般の事情を彼此勘案すると、結局控訴人が被控訴人に対して補強条件として給付すべき金額は、右一六九〇万円が相当であると思量され、かつ右金額は控訴人が明示した金額より一九〇万円多いが、金銭的に格段の相違のないこと及び弁論の全趣旨に照らし、控訴人の申立の範囲を超えるものではないと考えられる。

三すると、控訴人の第二次的請求は、被控訴人に対する金員給付額を一六九〇万円としたうえ、控訴人の申立のとおりの自制のもとに理由があるから、その限度で控訴人の請求を認容し、その余の請求を棄却すべきであり、したがつてこれと結論を異にする原判決を変更し、訴訟費用につき民事訴訟法九六条、九二条を適用したうえ、主文のとおり判決する。

(菅野啓蔵 舘忠彦 安井章)

物件目録《省略》

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